生きてるだけで100点。

生きてるって何かを表現することでしょう 表現せずにはいられないのかも知れません..............虚空に逃れようとしても ここにいるのを誰かに見つけて欲しいのかも知れませんね

認知症の母と暮らせば 暴言、暴挙あるよん

認知症母が性格悪くて
私の靴を靴箱から引っ張り出し
放り出すのを3日黙認したがやめない
無抵抗だとエスカレートするので
少し対策を
母の靴を荒らしといた

同害報復はダメ?
やられっぱなしもダメ?
喧嘩上等
売られた喧嘩は高値買取

何も無抵抗でヘラヘラすると舐められる
戦う意志は無くとも
いざとなったら自分を守る力があることをみせ
威嚇するのが抑止力

武力攻撃になる前に
威嚇して、牽制する

非暴力は大事で同害報復はいけない
という考えもわかるが
無抵抗の相手に
追加加害するのをやめない相手が
たとえ認知症であれども

病気の相手だから
健常者は全部我慢して耐えなきゃいけない
そんなアンフェアは難しい
精神耗弱者は何をしても無罪で不問ではない
認知症であれ、精神的病変であれ

相手に加害してはいけない

思慮分別を失った認知症の人間でも

間違っているなら
思慮分別を諭さなきゃならない
それが健常者の務め…

病気の相手だから
健常者は全部我慢して耐えなきゃいけない
そんなアンフェアは難しい
精神耗弱者は何をしても無罪で不問ではない
認知症であれ、精神的病変であれ

相手に加害してはいけない

思慮分別を失った認知症の人間でも

間違っているなら
思慮分別を諭さなきゃならない
それが健常者の務め…

「自分を健常者だ」
と書くとおごりに思う人もいるから
ただの「自分の権利を守る」ための
「正当防衛の範疇の行為」としておこう

健常者というテンプレートがあるわけじゃない
普通という型があるわけじゃない
ただ目の前に
病変を持った脳の母親が居るだけ

「正当防衛の範疇の行為」とわざわざ記すのは
認知症になると

加害した記憶は忘れるくせに
被害は克明に記憶する傾向大で

「暴力を受けた」被害を増幅させて訴える
認知症患者自身が主因であっても。

その際
介助者にも自身の尊厳を守る
自衛策を講じる権利はあり
報復ではなく正当防衛の範疇となる

靴箱を荒らされたからって
荒らし返すっていうのを対策と言えるのか?
小学生のイジメみたいな行為に
同じ行為で返すのも如何
だからといって脳が異常で
言ったから納得してやめてくれるわけでもない
意地悪にイジワルを返されたって長期記憶には
残らない残念な記憶力に
どう対応したら、やめてくれる

しかもこれ、私が調理する包丁をはじいて置いておくバージョンもあって…「包丁を変な場所にはじき置きたい思考」が危ないから
1本以外は押し入れの奥に全部しまった不便だけど黙認すると
また変な場所から包丁出てくる予想つく…
先手必勝で先にやらないと
認知症は思考が支離滅裂、
1本以外は押し入れの奥に全部しまった不便だけど黙認すると
また変な場所から包丁出てくる予想つく…
先手必勝で先にやらないと
認知症は思考が支離滅裂、やられる前にやる

こんなことが日常なんだから
施設入れれば良いって思う人もいる

認知症で要介護1にならない
自力で歩ける、食べれる、着替えができる

夜間せん妄、記憶障害、引きこもり、暴言
で介護の話をつけなきゃいけない
病院受診拒否で診断すらついてない
認知症の人格破壊は
癌の疼痛と異なる困難 イヤイヤ期ベビー

悪態ばっかりついた老婆の母親の
わがままな姿をずっと面倒みると
亡くなった時「解放された」気持ちになること

もっとしてあげられたとか
故人帰ってくてほしいとか
そう思えるのは「扱いやすい病人」だったらの話

元々私とは相容れない性格に加え
人格否定の暴言&意地悪の思い出が+αで
未練なし

綺麗な死に方、立つ鳥跡を濁さずならば
認知症患者の最後は解放って感じだろうな
生きてるけど、生前の母(既存の)はもう死んでいて

母の姿をした別人が毎日
支離滅裂で思慮分別に欠く
意味不明な言動をしていて
それフォローしつつ生活して
人格破壊で
母との残された日々っていうより
サヴァイバル

もう親父は10年前に死んでるからさ
母親がなくなったら、もうコンプリートなわけで

親父が亡くなる際に学んだことを活かして
母親を見送るまで…
だけど認知症っつーか精神耗弱者は
箸にも棒にもかからないっつーか
面倒くさくて
認知症じゃなく癌だったら
もう少し大人しく言うこと聞いてもらえる?

 

ティップオンライン音楽教室 資料公開ページ

Googleスライドやパワーポイントで作った資料で

オンライン音楽教室の案内を作成したので、公開しています。

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模擬レッスン 無料で体験希望の方は、

当ページコメント欄にコメントください。

Zoomアプリで1回、お相手をして頂きたく存じます。

 

 

 

 

 

 

 

コロナ禍がまだ終わりそうにない件


最近のコロナ禍状況をどう見ていますか?というtopicsなんですが、皆様どう思っているのか?

連日Yahooニュースのコメント欄を300件は目を通している私。2000件のニュースコメントでも300件は読んでます。

 

感染拡大の状況の推移で入国制限や帰省の自粛を求められている中、感染者の数はなかなか制御できず、

変異株の話もでたり、営業時間短縮や年末年始の人出や入国を一時的に制限しても
もはや、劇的な改善も望めない中、人々はコロナ慣れして気も緩んでおり、連日、医療崩壊についてのニュースが叫ばれています。
現在指定感染症に指定されていて、とても厳重な管理下の下で医療がなされており、現場の疲弊とともに、人員不足が叫ばれています。
ここまで毎日数千規模で感染拡大しても指定感染症として扱うべきなのか?そういう議論もなされています。

ちなみに指定感染症への指定の延長が12月半ば決定し、2022年まで指定感染症の延長となりました。

このことからも、2020 年は終わりますが、新型コロナウイルス感染症に警戒して過ごす日々は

2021年になろうとも延長線上にあると言えそうです。

 

人々が移動せずに生活することは不可能に等しく、感染者を出さずに生活できるほど感染防止策は完全かつ絶対的なものでもありません。
こうしてオンラインでやり取りする分には感染リスクはないですが、それでも人々は集まって飲んだり食べてたりすることがたまらなく大好きでやめられないことが菅首相によっても証明されています。

 

来年もこの状況はしばらく続きそうですね。
自分がこうして生活してる中で感染しないのはラッキーなクジを今のところは引いているってくらいに考えたらいいのか?
それにしてもインフルエンザより激しい後遺症の残るタイプの人も居て、後遺症なんていう爪痕が身体に残るのは嫌ですよ。

コロナで世の中変わるかなって期待もありますけど、いろいろ矛盾だらけの世の中の矛盾が気になって許せない的な気分になるのは、

 

自分の心の中に平和が生まれる余裕を持たないといかんということですかね?

 

そういう精神的な孤立感の中、何を望んだらいいのかわからないなぁというメッセージです。いえ、何も望まないけど、

矛盾ばかりで統合されないカオスな世の中で、ウイルスだけに気をつけていればそれで済む話なのか?

なんていう取り止めのない思考が浮かんできます。

 

晴れ舞台の発表会やあらゆるサークル活動を自粛してきたこの一年。でも3月から考えたらまだ一年ではないですね。

 

音楽の授業で歌えない日常を過ごした小学生。
給食中もしゃべっていけなくなった小学生。
そんな学生時代を生きる今の小学生。

 

コロナ禍での小学校の日常を取材したドキュメンタリーを観ていたら、

一番、律儀にルールを守って自粛したり、生活様式を変えているのは、小学生なんじゃないか。と思った私。

先生たちは放課後も机を拭いたりの感染対策に、授業での感染対策、給食での感染対策に

働き方改革で、定時退勤を強要されて、終わらない仕事を片付けようと休日出勤をし…

かなりの確率で疲弊していて、それでもちゃんとルールを守っていた。のが印象的だった。

 

何を想うかは人それぞれ

当たり前にできたことができなくなった一年、我慢の先にあるものは、なんでしょう?

感染症の制圧は通常年単位でかかるものです。
根絶できた感染症天然痘だけです。特効薬のない感染症は今でもたくさんあります。
エイズエボラ出血熱(潜伏期間中の無症状の時に他人に対して感染させる力がないという点での比較)は、

これらの感染症は感染力が低くて致死率が高いものですが、コロナウイルスは逆です。
だから難しいんですよね。

 

はぁーー。もうすぐ2020も終わりか...オリンピックイヤーのはずだったけど
こんな一年になるとは...しかもまだ続くんですね。

私も知らず知らずのうちにうちにストレスがあるようで、ついつい、吐露グセが出てしまったのは、申し訳なく思います。

皆それぞれ思うところはある。我慢の一年をお疲れ様でした。

今の世の中、誰しもが先の読めないストレスくらい当然あるので、

皆様も、知らない間に溜まってしまうストレスにはお気をつけてください。