生きてるだけで100点。

生きてるって何かを表現することでしょう 表現せずにはいられないのかも知れません..............虚空に逃れようとしても ここにいるのを誰かに見つけて欲しいのかも知れませんね

死にたい。とはなんなのか?忘却の果てに…自死という選択

こんなに有名芸能人が相次いで自殺し、亡くなると向き合ってしまう…

いつもは遠くに置いている、距離を置いている死と近づいてしまう…

 

100年後の世界に自分は居られないのに、

居「なくなることは既に決まっている宿命なのに、今すぐここで死にたい」とは何なのか?

 

太陽が燃え尽きて爆発する瞬間なんて、今生きている人みんな死んでるのに、、いつか必ず死ぬのに。

自分がこうして生きている証拠、生きていた証拠なんて、何もない。残せない。空っぽのなかで…色即是空

今すぐ自分を消して、何になるのか?

 

100億年経った宇宙に自分が生きた証なんて何も残らないなら、自分ってもともと存在しないかもしれない。

存在を証明する術すらない、ちっぽけな一生命を今持ってること自体が、摩訶不思議なことで、戻りたくても

もう二度と同じ場所には戻れないのに。

 

どうしてそんなに死に憧れるんだ。死の誘惑に吸い込まれるんだ。

「死生観」心の在り方は

価値観は、「死ねば楽になる」と思っているんだろうか。

生きることはつらい。四苦八苦。苦行なんだ。

だからってみんな単純に「死ねば楽になる」「解放される」っていう定義になっているなら、恐ろしい。

幽霊は誰だと思っているんだよ?

幽霊って死者のさまよう、たましいだよ。幽霊は宇宙人ではないよ?

死んだ楽になるはずが、消えるつもりが彷徨って幽霊になってるっていうことを、他人事だと思わないでほしい。

臨死体験者の死者が通るプロセスをお伽話だと笑わないでいただきたい。

 

 

死にたい人は、自分って存在が死ぬ前にはどこに居たのか?とか

死んだら無くなって、存在しなくなるなら、自分って誰なのか?とか

そういう疑問持たないの?

考えて見たこともないの?自分って誰なのか、どっから来て、どこへ行くんだろうって考えたことないんだろうな。

いのちの電話で、悩みとかつらいことをそのものに焦点を当てて話すんじゃなくて、

 

「じゃあ、あなたは自殺して、幽霊になって彷徨っていいんですか?」とか

 

「つらいこともちゃんと経験するために、あなた自身で選んだことですけど、それを放棄するんですか?それだとまだクリアできなかったっていうことで、生きてれば前に進めることでも、そこで自死すればゲーム終了しちゃうんですよ?もったいないですね。あなた自身があなた自身の想念で作り上げたこの世に終わりをつけることで、楽になるっていうのだけは、逃げですよ。別に逃げても構いませんけどね。

でも本当のあなた自身の望むことを考え申し上げるとすれば、生きてクリアしたほうが、よっぽど楽ですよ、それを望んで生まれたことをお忘れになっているようですが」と言うしかない。悩みの大小が本質ではない。

スプーンひとさじの苦しみでも自死する人が居て。

湖いっぱいの悲しみを抱えながら、生きてる人も居て。

はたから観れば何の悩みのなさそうな幸せそうな人でも死を選ぶし。

はたから観れば、悲しみや辛いことばっかりでも、懸命に生きようとする人がいて。

背負っているものの重さや大きさではないんだ

。その人自身が苦しみや悲しみのなかで、生きようとする意志があるか無いか。

心の在り方の問題なんだ。

 

「自殺、すなわち死にたい」とは「なぜ生まれ、人は生かされて、生きるのか?」を完全に忘却し、苦しみや悲しみや絶望感しか

目に入らない盲目な精神状態のなかで自分を抹殺することを解決手段に、生きることを放棄するひとの選択。

この世の夢の中で苦しみもがく人が、絶望し、絶望感のなかで、自分を見失い、見失ったからこそ、何を経験すべく自分がここにいるのかを完全に忘却したなかで、ただ溺れるように、日毎に絶望と悲壮感を膨らました結果にあるものだと思う。

 

起きる出来事は完璧であり、現象そのものを変える力は私達には備わっていない。

何事も覆水盆に帰らず。だからこそ、人はいろんなこと、悲しいことやつらいことを受け入れてそれでも生きていかなきゃならない。

でもこれは万人にとって同じことだ。どんな悲劇だって起きてしまったら、そのものを戻すことはできない。

そんなこの世に生きている。

そんなこの世で生かされている。

その一つ一つが当たり前のように思えるけど、当たり前なことは一つもない。

その一つ一つに感謝することができるだろうか。

今ここにいることさえ、当たり前ではないのだから。

自分の命でここにいることが当たり前ではないことさえ、忘却して

自分を消すことで「何かに至る」解放だと思うのだとしたら。

それこそが飛んだ勘違いで、最大の愚かさだと私は思うのだ。

その命を消すことが出来る選択肢がある時点で、どれだけのものが天から与えられていて、

そして自分自身そのものへの裏切りに他ないと気付けるだろうか。

 

自殺を止められるのは、自分自身の心の在り方しかない。

自死は逃げだ。逃がれたいからこそ、自死を選択するんだろう。

あとさきや、周りの人間のことは考えず、逃がれたいから、死に吸い込まれるんだろう。

それもダメってわけではない。自死も自由だけど。確かに選択肢の一つなのかもしれないけど。

自死を止められるのは、やっぱり自分自身そのものしかない、心の在り方が問われる。