ニッポンの教養
今日も合気道教室に行ってきた。
小学生がちらほらいて、
ちょっとふざけあっていたり、掃除をテキトーにやってる光景が、懐かしくみえた。
無邪気に
「この人が蹴ってきたんですけど?」
「えー蹴ってないよ?軽くこうしただけじゃん」
とか言ってた。小学生によくある感じ。
今日は火曜日のニッポンの教養をみた。
言語学。
以下は私が番組をみて拾ったこと。
言葉は人との距離を近づけるものでもあるが、遠ざけるものでもある(=これを突き詰めると民族や国家の成立の概念となる)
言葉で言い表すことに集中するために、言葉に思考が支配されている。
私たちが伝えようとするために言葉にすることによって、失われるものや、省かれるものがある。
言葉があることで、与えられることによって、独創性や表現の可能性が、言葉によって縛られていることに気付かない。
こんな感じかな。
小学生がちらほらいて、
ちょっとふざけあっていたり、掃除をテキトーにやってる光景が、懐かしくみえた。
無邪気に
「この人が蹴ってきたんですけど?」
「えー蹴ってないよ?軽くこうしただけじゃん」
とか言ってた。小学生によくある感じ。
今日は火曜日のニッポンの教養をみた。
言語学。
以下は私が番組をみて拾ったこと。
言葉は人との距離を近づけるものでもあるが、遠ざけるものでもある(=これを突き詰めると民族や国家の成立の概念となる)
言葉で言い表すことに集中するために、言葉に思考が支配されている。
私たちが伝えようとするために言葉にすることによって、失われるものや、省かれるものがある。
言葉があることで、与えられることによって、独創性や表現の可能性が、言葉によって縛られていることに気付かない。
こんな感じかな。