ロップイヤ、ウチ死去から一年の節目(精巣腫瘍うさぎ)
ホーランドロップイヤーのオス ウチ(2012年10月ー2019年2月2日AM7:58)が今日で亡くなってから丁度一年です。
一年前の今日、午前7:58頃 私の膝の上で抱き抱えられながら、最期を迎えました。
死因はおそらくガンです。病院には、かけませんでした。
ウチは精巣腫瘍になり、このように玉が腫れて熱を持ち、硬いウインナーが入ったような状態になってしまいました。
これは2019年1月15日頃
さらに水が溜まってタプタプなりました。手術した方がいいのかととても悩みました。
歩くのも玉を引き摺り歩くので、かわいそうでなりませんでした。様子を見ていても、小さくなることはなく、
盲腸糞も食べにくい状況で、玉に盲腸糞がくっついたままになった時は、霧吹きで柔らかくし、濡らした布で優しく取ってあげたりしました。とにかく小康状態ならないものかと祈る毎日でした。
水が溜まっていた玉の袋が破けたのか、破いたのかは不明ですが、
玉の袋が破裂して、血が出ました。
これはおそらく、ガン細胞が限界増殖した結果の壊死、自壊だと思われます。
病院に連れて行くべきじゃないかと母に相談したら、「もう最期だから、いじられても辛いだけだ、そっとしてやろう」と言われ、
先代のうさぎ、ロップイヤーのロッピーは、胃腸鬱滞で入院させたけど、3日後に病院で亡くなったことがあり、それを思うと、手術だの検査だのしても、力及ばないこともあると痛感したことがあるため、それを受け入れることにしました。
その分自分で、出来る限りのことはやろうと決意し、傷口に化膿止め効果、止血効果のあるターメリック粉末(インドではターメリック は
家庭の医学でいう薬草)毛繕いできるうちに舐めても大丈夫なもので、ケアしていました。
他にもホーリーバジル (インドでは万能薬らしい)、ひまし油(止血効果、殺菌、保護効果)舐めても毒性ない。
エキナセア(免疫力アップのために、大好物のリンゴスライスの上にサプリメントのカプセルから出してふりかけて与えた)
マッサージでなでなでしたりして、メンタルでもサポートした。
病院では、たしかに、手術や対症療法はできるけど、ずっと付き添って励ます、そばにいてあげることはできないし、
安心できるいつもの風景を奪って、痛くて辛い身体で、初めての場所に連れていかれて、あちこち身体を触られるのは、もしかしたら、身体にとって苦痛やストレスになるかもしれないと、もう一つの側面を考えた結果でもあった。
医療機関にかかることをしないのは、絶望視しているからでもない、見捨てたわけじゃない、医療機関での処置が必ず寿命を伸ばしてくれると限らないという部分を取ったのだが、実際、そういう決断は、何かするよりも、しないということであり
それが死という出来れば先延ばしにしたいものを本当に先延ばしできたのかと言われたら、それはわからない。
今こうして、一年経って、ようやく外にシェアするために文章かしていてでさえ、後悔がないわけではない。
生きていてくれる時には、あった温もりを失った時、この決断が最善だったと言えるか問うても、
やっぱり手術したら、もっと生きてくれたのかな…と思うこともあるし、でも自壊する腫瘍は悪性腫瘍だろうから
手術しなくても転移とかがあった場合、いずれにせよ、予後はよくない。
ガンの終末期緩和ケアの在宅ケアとして、飼い主が愛情をもって、精一杯見送ることはできたとも推測できる。
亡くなる2日前くらいはこんな感じでずっと膝の上でなでなでしたりして
水も自分で飲まないからスプーンで口まで持っていって飲ませてあげた。
この頃は、生きて、息をしているだけも、痛そうで。大変そうな感じで、
そばにいて、なでなでしていた。ずっとずっとずっと付き添ってなでなでしていた。
それから2日後に、朝私の夢にウチが出てきて、ウチが呼んでるって心配になって飛び起きて
そしたらまだ息あって、生きている。って思って安心したけど、このまま布団に戻っちゃいけないなってしばらく、いようって
爪切らせてくれないうさちゃんだったから、ずっと爪切らせてねってお願いしてて。
「じゃ、今から爪切るからね」って爪切らせて頂きました。
全然暴れないから、スゲーサクサク切らせてもらって、でも最後まで切らせてもらったら、
急にウチが口を4〜5回パクパク、前足を掻くように上下に左右揃えて振り下ろす動作と大きく力の入った呼吸をし
全身が弓のように強く張ったのちCの字になり、そのCの背中をさすり「大丈夫だよ、大丈夫だよ、大丈夫だよ」と話かけてさすると
ウイーーーンってノビをして、その力が抜けた瞬間に、ダラーーーんってなって、クシャんって萎れた棒みたいなへにゃへにゃになって。
「え、え、?今のなに?」「え、動かない。えーーーーー、死んじゃったの?」て聞いたけど、
死んじゃったんだよね。最期。爪切らせてもらう約束果たしたら、もう、身体から抜け出しちゃった。
でも切ってる間は居たんだよね。命がなくなる瞬間まで、居たんだよね。居なくなっちゃったあとは、全然違う物体になった。
抱き抱えてそう思った。今までずっとなでなでしてきたのと、違う感触になったのが、すごくすごく悲しくて悲しくて、つらかった。
キミもつらかったと思うよ、病気になってしんどそうだった。
「え、今ので死んじゃったの?」って聞いたけど、それ以降、ウチの身体がウチの意思で動くことは2度となかった。
鳴くこともなく、最期ノビをして、死んじゃった。私の膝の上だった。看取っちゃった。朝7:58だった。
それからウチを胸にずっと抱きしめて、25分くらい。二人だけのお別れを噛みしめました。
夢で起きてから1時間か一時間30分くらいなのかな。7時くらいに起きて、8時には亡くなった。夢で起こしてくれたから、
最後のお別れをできた。ちゃんとウチは、私を最後まで頼ってくれたんだ。呼んでくれたんだ。ありがとう。
ちょうど仙台に引っ越してきたのが2016年2月3日で。亡くなったのが、2019年の2月2日でした。ぴったり3年間。
最期まで別れたくなかった。死んだなんて、ブログにも書けなかった。
キミが死ぬ日が来るなんて、思ってなかった。だって6年は一緒だったから、10年は生きてほしいと思っていた。
生まれた時から、死に向かい、得た時から失い始めると、本にあったけど、キミを埋めたら、本当にどこにも居なくなっちゃってさびしいからさびしいからってなかなか埋葬しないで置いておいた。死体になったキミを再インストールするかのように写真を残してみたけど、
キミが死んじゃったと認めるのがつらくて、普段飲まない酒を飲んだりしたよ。1ヶ月はね。そこから心の隙間を埋めるためにギターを弾くようになった。そうやって一年過ごしたけど、写真でしかキミを見れない寂しさが消えたわけじゃない。
うさぎを飼い始めた時に背負った死ぬまで面倒見るという覚悟とその責務から解放された日でもあり、100%快適に過ごせるお手伝いができなかった自分をいまだに責める日があるけど、キミがとても可愛いとなでなでした日々を私は、忘れたくても忘れられなくて、今はまだ苦しい。
ヤプログ の写真がヤプログ の終了に伴い2日前では表示されていたのが、表示されなくなり、余計寂しくなった。
一応バックアップできた写真があるけど、一から貼り付けていかなきゃならない。
その中にウチの写真も記事もある。元気だった在りし日の姿。
あんなになでなでしてたのに、もうなでなでできないのが、寂しいよう。
あんなに追いかけてくれたのに、トイレや、風呂場や布団の上までストーキングしてたキミのことを思い出すよ。