生きてるだけで100点。

生きてるって何かを表現することでしょう 表現せずにはいられないのかも知れません..............虚空に逃れようとしても ここにいるのを誰かに見つけて欲しいのかも知れませんね

夜型人間をただただ肯定する、夜型人間の生きづらさ

夜冴えてくるって何故なんでしょうね。
眠れないっていうか、眠くないから寝ないってそんなにいけないことですか?
そんなに昼寝てちゃいけないんですか?

眠くなるか、眠くならないかなんて、個人の自由で、好きな時間に寝たっていいと思うんですが。なんで社会に合わせて生きる方法を、親にとやかく言われ続けなきゃいけないんだろう…ーあぁ、生きてるってツライことばっかりだ。

ツライこと、逃げても、避けても、追いかけてくる。

 

こんなふうに路上ライブ仲間に愚痴を送った。

 

「俺も実家にいた頃、夜眠れないのに、朝は起きて一緒にご飯を食べるのを強要されてました。

でも、寝る時間も起きる時間も、その人の自由です。ましてや星乃さんは大人だし、仕事だってしてます。

一般的な概念にすべてを当てはめようとするのは間違っていると俺は個人的には思います。

持論はあっていいが、人に押し付けるべきではない。そんな気がします…。」

 

そう言ってくれる人がいるだけでも、救われます。
実際には、役にたってないと、家に居づらくなっていきますね。
そういう気持ちを路上ライブにぶつけちゃったりしてもいいですか?なんてね。
そういう意味で、選曲してる部分もちょっとだけありますね。鬱屈と鬱憤。

夜のシフト入るのが希望なのに、昼の方が人足りないっていう職場の状況を母親に報告相談したら、

「そういう状況になるのが因果なんだ」

昼夜逆転はまずいからこそ、そうならないように周りの状況が仕組まれていくんだ」って言われて、

思わず夜眠れない仲間sさんにiMessage書いたんだ。

 

結局、母親と私の距離感や私の虚無感をどうやって埋めたらいいのかって考えると、「夜型」を頑張ってやめて、今より昼間ちゃんと働いて生活費を捻出することを努力すべきなのに、そういう努力に挫折した自分に戻る怖さに抵抗して逃げて、また夜型で夜な夜な起きて叱られるっていう私自身の身を置く場があるような無いような状態に向き合うと、やっぱりしんどくて、でも今の生活にはある程度満足しつつも、どっか変えなきゃ行き詰まりそうであり……私だって弱点だらけなのに、「自分は、普通です」って顔を下げて行くのも、全然正直じゃない。

 

ウチの母は、ひどい親だっていうほど酷くないのかもしれないけど、(出てけというけど光熱費や家賃は取らずに、一間くれている)料理作っても、買い物行っても、全然助かってないらしい。毎日めまいや、胃痛や、舌痛や、神経痛に苛まれても、毎日娘が午後まで寝てて、夜遅くまで寝てないから、昼間全然助かってない。と言われて。

 

「仕事週4にする」と私が言ったら「居ても居なくても変わらないから週5でいいよ」と言われて。だったら、もう別に親と暮らしててもこっちも心が辛いわけで。だったらギター弾いて癒されるけど、一人じゃつまんないなぁって感じで。

路上ライブ仲間(生活保護者で、不眠症。おじさん。不安障害、パニック障害不眠症で精神科通院中)と話したら、分かってもらえる音楽の話とか、ストリートで見る景色とか、そういうので母親と距離を置きたくなります。

はみ出しものにしか、共感できないつらさを分かち合えることが救いです。

 


本当に自分らしい生き方を追求するって簡単そうに見えて、難しいやつです。
ごまかしながら、まぁこんなもんだろうって生きてる部分を直視してみると、もったいない気もするけど。

それを解決できる道が今すぐに見えているわけでもなくて、まず、もがいてみる。嘆く。自己否定する。現状も否定して、自分なんてダメだなんて、思う。けれど、それじゃ何も変わらない。結局、与えられるのを待っていても、欲しいものは、来ないから、自分で行くしかない。今のクリーンスタッフの仕事、「結婚しててパートでやってる」って誤解されていて、(フルタイムじゃなく、パートで働く主婦みたいな、しかも夕方から夜、大学生たちと同時刻で働く、4時間以内、甘いって言いますか?知ったそこのあなたも。)

でも黙っていりゃ、世の中、体裁保って生きられるけど。(主婦のかぶりものを被ったキャラ?)

私の過去の出会った素晴らしい人たちは、体裁よりも、ちゃんと真実の姿に向き合ってくれたからこそ、独身で、親から経済的自立できてなくても、働いて、働いて、働きまくる生き方がしたくないから、フリーターでこういうパートしてることも、わかった上で、

 

「じゃあ、あなたは、どう生きたいの?」と問うてくれた。

 

世間からの常識よりも「自分自身がどうありたいか」を先に考えろと問うてくれた。

 


こうやって起きてる時間もっともっともっと働けば、少しは自分で自分の金を賄っているといえて、昼夜が逆転であろうとも、それは私の生活スタイルだと言えるのですが、生産性のない昼夜が逆転の生活はただの自堕落と言われてしまう。ただそれだけのことを改善できなくて、苦しみだのと語っているから、親に「お前の存在意義」をうたがわれているんでしょうね、はい…


昼夜逆転なのは、眠くなったら寝て起きたくなったら起きるを繰り返していくうちに習慣化してしまったのですが、やはり母親が自堕落な生活だと思っているらしく、

「26からずっと、こっちに来ても変わらないじゃないか、どうしてそうやって生活することに恥ずかしさもないお前をこっちが養ってやらなきゃならないんだ」とか。

特別養護老人ホームにおばあちゃんを先月入れてから、非課税世帯の収入で年間70万という金をどうやって捻出するんだ、お前みたいなやつを養ってる余裕はない」とか。

 

気持ちだけでも味方になってくれない母親と暮らしてる自分にとって、先が見えない事をどうやっていけばいいのか模索してほしいという

投げかけてるんだとしても、相手の気持ちに「冷や水をかけるような言葉で尻を叩く」事でしか、人生は開けないのでしょうか…。

わたしは苦しみから距離を置いて生きることで生きてるんだよと言っても全く理解してもらえない。

 

母親は67歳(アラウンド古希、アラウンド後期高齢者、アラコー世代)で、

更年期(50代中盤)から、不眠症になり、サイレース(ベンゾジアゼピン)という睡眠薬を飲んで、毎晩0時頃から眠りに着きます。もうサイレース飲んで10年は経っています。自分自身がサイレース愛飲者の不眠症患者なのに、

娘が夜型で、眠くならないから、眠くなる時間まで気楽に起きてて、早朝、眠くなるから寝て昼14時遅いと17時に起きるのは、なぜ許されないんでしょうか。

サイレース(ベンゾジアゼピン)の催眠作用は例えるならパソコンの電源のをシャットダウンせずに、コンセントプラグを引き抜いて電源を切るような荒っぽい脳のスイッチ切り方をします。長期の愛飲は脳の機能に影響があり、記憶の定着に優位差が出ると言われる薬です。そこまでして自身を朝型生活に順応させているからこそ、許せないのかもしれませんね。

 

考え方って毒にも薬にもなるし、人を救うこともあれば、奈落の底に突き落として来るような考え方もあって、自分が自分自身に対して何を信じて、どうありたいかを間違えると、本当に死んでしまいます。(「死んだら楽だ」と考えるようになる)死が、救ってくれるとは限らないけど、死が唯一の解決策とは限らないけど、死んでしまったら、楽になるのではないかという考え方は、一種の麻薬のような誘惑を持っています。

 

けれど、この世に生まれた以上、必ず経験すること、不可避なのが死なのですから。

早々に自ら死に歩み寄らないように、生きることでしか、経験できないこと、感じられないことに価値を見出すことで、

死の麻薬的な誘惑を遠ざけつつ、今の自分自身に生きるとは、どうありたいかだと問い続けて、歩んでいます。

 

母親が人生で描く「成功の図」と
私が描く「人生の成功」が一緒だったら、摩擦は起きないでしょうけど、
母親の描く人生のパターンに

ストリートミュージシャン
ボランティア活動も
スポーツクラブでのダンスやヨガも
乗馬も、よさこいも、太極拳も、
海外で一回でもひとり旅も無くて…

 

「この状況でのうのうと生きれているあなたが不思議でならない」って言う母親に、

わたしはこうやって苦しみから距離を置いて生きることで生きてるんだよと言っても全く理解してもらえない。

やはりひとは、孤独である。一緒に暮らしてても、孤独である。

 

生産性のない昼夜が逆転の生活はただの自堕落と言われてしまう。

 

母親との遺伝子の共有率は50パーセントかもしれないけど、性格的形質の遺伝的な類似性はあまり無いなぁと思います。

遺伝子の世界では、多様性が生まれることは、生存率を上げる優位なこととされていますが、

人は意外にも保守的で、「自分が体験したことがない世界もまた素晴らしい」と言えない人が多いので、

この「多様性がある世の中の素晴らしさ」は、すなわち、「自分の知らない世界があること」の素晴らしさなんですけどね。

類似性だけにとどまっていたら、自分と似た者同士で固まって生きるのが一番ってことです。


どっちも環境最適化の結果ですから、どっちもダメではないですけれども。

 

開き直って受け入れるしかないですよねぇ...こういう部分って自分が一番最初に受け入れるべきことで、

次に人にそれを理解してもらえるよう説明するという順番です。自己否定してたら、他人からも否定されることが増えてしまいます。

得意不得意は、地球レベル(全体性)で考えていくと克服する必要があるという結論にはなりません。なぜなら、

 

 

「私が得意としてて、よく出来る事があるように、逆も真なり、それが苦手な人も当然いるのです。」

わかりやすい例えで言うと、「私は計算が苦手で、暗記が苦手」ですが私が、躍起になって克服しなかったとしても、それが得意な人「計算も得意、金勘定も得意でお任せください」と言うタイプは、東京都、日本、地球レベル(マクロな視点)で考えたら既に存在していて、地球は、全体性で考えると完璧であると言えるからです。

そう、個人の向き不向きをピンポイントで突くのはナンセンス!宇宙は相補性と多様性でできている。

1人の人間の中で完結する完全性ではなく、マクロな視点におて完全性が生まれる事で良しとすると考えていくと、

短所は長所にもなり、また長所は短所にもなりうるという事が見えてきます。


「弱点を弱点だと認めることは弱さではなく、強さイコール自己肯定感」から生まれると思います。

自己否定はよくないって言う事ですら一部に否定が含まれてしまいますが。

苦手を肯定しなきゃ、いつまでたっても苦しい生き方を選択するバカり。

苦手を肯定すれば、自分にあった生き方を選択する可能性の扉が開く。

苦手を肯定すれば、他人の素晴らしさを認められる。肯定できる。

他人が敵じゃなくなるよ。(自分で過去の自分を超える、克服する、新しいゾーンに行くための努力の話はべつね。)

なぜなら、自分と違う他人がいてくれるから、自分が安心して、その得意な方を選択しても、世界はちゃんとまわる。

他人に無理矢理合わせようとしてたから、誰も私を理解してくれない、と苦しんでいたかもしれないけど、自分自身が、ちゃんと自分自身を理解してなかったのを、他人に投影してる可能性があるかもしれない。

自己肯定感は、自分の嫌なところも、誰から分かってもらえないところも、醜いところも全部全部全部全部肯定することなんだ。

それでも他人がみんなそれぞれ違っているから、世界はちゃんとまわるなんて、多様性ってなんて偉大で、素晴らしいんだろう…。

 

さぁ、あなたも明日から朝型人間に合わせる必要はもうない。

苦手を肯定しよう。まずはこの自分から。はじめよう。朝は、眠い。寝つきはすこぶる悪い。だから朝起きられない。でも、昼、夕方まで眠りをむさぼれば、ちゃんと心も体も安定するんだ。

起きられない、起きたくない、ツライのに、起きるということを強制し続けると、生きることがツライに変わってしまう。

 

朝型人間なんて、この深夜2時なんてぜってーーーぇ起きてられない時間に私は冴えているのは、

他人と得意なことが違うってことに過ぎないんだよ。

あなたは、夜が得意。ただ、シンプルにそれだけのこと。ご飯かパンか?朝型か夜型か。睡眠って大事。

眠くなったら寝るのの時間が早朝6時じゃ、変態ですか?(私は朝6時まで起きてて、そっから16時まで寝るスタイルやって、ドン引きされるけど、それをやれる日は最高に自由な時間の使い方ができる日。ありがとうー!)

社会不適合者と貶められなきゃいけないですか?

他人、社会、標準、基準、スタンダード、ステレオタイプな9時17時のサラリーマン社会にぴったりだったら苦労はしないさ。

 

自然に眠くなる時間は遺伝子によって🧬クロノタイプの異なる多様な制御パターンがある。

社会適合を第一に遺伝子は考えるわけじゃない。

それでも本人が悪い、甘えている、怠けていると言われることに、抵抗し続けることしかできないなら、

平等ってなんなんだ、均一化じゃんか!

睡眠タイプの異なる人間も、平等に朝型と等しく扱われるように、自分は、ブログに書いたけど、こんな文章では夜型への偏見は無くならないかも……でも犯罪者が生まれた時から犯罪者で生まれるわけじゃないのと同じく、最初から夜型人間で生まれるわけじゃないし、

 

夜型人間になったら、一生変わらないとか、一生抜け出すことができないってもんでも無く、好きな時間に寝ることに偏見がなくなればいいと思う。夜型生活をしていく上で一番ツライのは、この偏見であり、朝型勤務などの必要性によって朝型生活をしていて一番ツライのは、シンプルに、朝目覚まし時計で起きなきゃいけない瞬間と毎朝格闘することだ。

 

ダリル・アンカ 「バシャール」より

夜型とは、ただ本来の覚醒リズムに近づいたにすぎないということらしい。
眠くないのは、覚醒しているからだし、寝れないなら、眠くなるまで起きてればいいって考えてるように私もなった。

「人間の覚醒のバイオリズムの中で一番高くなるのが午前2時から午前4時、反対に昼寝したくなる午後2時から午後4時が最も低い」

 

地球の時間で午前2時から4時が最も活動的になれる時間帯で、午後2時から午後4時が最も休息を必要とするのですが、あなた方の社会はこの自然なサイクルの反対をやっているのです。一番エネルギーが低下しているときに起きていなければいけなくて、一番高揚するときに寝てなくてはいけないようになっているのです。だから、体がそれに一致しないで、夜中に目が覚める習慣ができたりすると不眠症だと騒ぐのです。でもそれは病気でもなんでもなくて、体が自然のサイクルにしたがって、機能するようになっただけです。

 

って書いてあるから、参考にしてみてください。

こうやって苦しみから距離を置いて生きてるんだよと言っても全く理解してもらえない。

それが一番ツライのだな。眠れないのが、ツライのではないよ。眠れないのは夜にっていうだけで、眠れないわけじゃないから。

 

朝になりました。
こんな時間までお付き合い頂きありがとうございます。