生きてるだけで100点。

生きてるって何かを表現することでしょう 表現せずにはいられないのかも知れません..............虚空に逃れようとしても ここにいるのを誰かに見つけて欲しいのかも知れませんね

夜型。苦手を克服すべき? と路上ライブ、ギター


やることが山積みってほどでもないけど、けっこうあるし、休みもほしいんだって親に言ったら、

時間たっぷりあるのに、14時間も寝てるからだって言われて。

今、夕食のおかずがない貧しい食事で、母親も毎日毎日具合悪いっていう状態で、仕事週5行ってても、昼夜逆転だから「助かってない」らしくて。そういう言い方されても料理作ったり買い物行ったりして。その合間に自分の洗濯や、入浴や掃除やら…やる。

 

これで路上ライブやったら、いい感じに疲れてもっと熟睡できるかな。

眠れなくても。いいんですけどね。別にそこは自己肯定感あるし。

今の私はコード書き写したろとか、これ路上で弾いたろっていうのが、
親のすねかじりって言われる以外のアイデンティティです。

一人で路上に立つのは、寂しいけど、二人だったら共感できるし、
あれやろか、これやろか
相談できるのも、仲間ならでは。

普通の仕事やってるだけではつまらないし、せっかく自分のできることを披露できないのももったいないし

音楽で食べれなくてもいいから、音楽で発信していこう、とか思うようになりました。
路上ライブでいい。路上ライブがいい。

 

こんなふうに路上ライブ仲間に愚痴を送った。

 

「俺も実家にいた頃、夜眠れないのに、朝は起きて一緒にご飯を食べるのを強要されてました。

でも、寝る時間も起きる時間も、その人の自由です。ましてや星乃さんは大人だし、仕事だってしてます。

一般的な概念にすべてを当てはめようとするのは間違っていると俺は個人的には思います。

持論はあっていいが、人に押し付けるべきではない。そんな気がします…。」

 

そう言ってくれる人がいるだけでも、救われます。
実際には、役にたってないと、家に居づらくなっていきますね。
そういう気持ちを路上ライブにぶつけちゃったりしてもいいですか?なんてね。
そういう意味で、選曲してる部分もちょっとだけありますね。鬱屈と鬱憤。

 

夜のシフト入るのが希望なのに、昼の方が人足りないっていう職場の状況を母親に報告相談したら、

「そういう状況になるのが因果なんだ」

昼夜逆転はまずいからこそ、そうならないように周りの状況が仕組まれていくんだ」って言われて、

思わず夜眠れない仲間sさんにiMessage書いたんだ。

 

私は、夜眠れないっていうか、眠くないから起きてるし、その生活パターンでも生きていけるような仕事を選び、金銭的には、完全に自立してなくても、核家族が唯一の正解であるとも思わないし、一人暮らしこそ唯一の生きる道だと思わないから、親と暮らす選択をしてきたけど。親の方が、私の生き方を認めたくない思いが強くて、もう日に日に居づらくなっていきますね。


自分の殻を破るために必要な行動や行為は、人によって千差万別だから。

私は海外に一人旅に出てみたけど、一番自分を見つめるきっかけをくれたのは、旅行より、失恋のほうでしたし、考え方を教えてくれたのは、良書たちで。ニート生活を支えてくれたのは、父親でした。今は亡くなったけど。存分にニート生活ができたのは親父のおかげだし
今の私はそうしてできてます。開き直って受け入れるしかないですよねぇ...こういう部分って自分が一番最初に受け入れるべきことで、次に人にそれを理解してもらえるよう説明するという順番です。

 

自己否定してたら、他人からも否定されることが増えてしまいます。
得意不得意は、地球レベルで考えていくと克服する必要があるという結論にはなりません。

なぜなら、私が得意としてて、よく出来る事があるように、逆も真なりなのです。わかりやすい例えで言うと、
「私は計算が苦手で、暗記が苦手」ですが私が、躍起になって克服しなかったとしても、「それが得意な人は地球レベルで考えたら存在して」いて、地球は既に、完璧であると言えるからです。1人の人間の中で完結する完全性ではなく、マクロな視点におて完全性が生まれる事で良しとすると考えていくと、短所は長所にもなり、また長所は短所にもなりうるという事が見えてきます。
弱点を弱点だと認めることは弱さではなく、強さから生まれると思います。自己否定はよくないって言う事ですら一部に否定が含まれてしまいますが。

レジの仕事でもう一つ苦手なのは、計算だけでなく、定型句ばかり言うのが苦痛でした。自分で考えて話す言葉じゃなく、決まった語を機械的要領で発する仕事なので、フリートークの楽しさが全くありません。

あとラインの絵文字も苦手です。てゆーか馴染まない。作文や公的文書にいちいち笑顔のマークとか貼り付けないですから!

文章の表現力を絵的な感性に依存するっていうか棚上げしてる感が馴染みません。

 

数を数えるのも苦手です。カウンティング。
通行者カウントのためにカウンターを持たされましたが、何かに気をとられるとすぐに、どこをどこまで数えたかわからなくなり、ディレクターから怒号が来て、単発だけどもうやりたくないと思いました。スーパーの棚卸し(在庫のカウンティング)も苦手で、その時初めて自分は数を感覚でざっくりと捉えて済ませているから、自発的に数える事はしてないとわかったんです。何個ていう数はあんまり数として見てないっていうのは、マイナーな感覚だっていうのは初めて自覚しました。だから何個あったって聞かれても適当な数を言うのは、普通っていうか。


それで三越でも、牛タンの駅のお土産売り子も、バイトで雇われて見たものの牛タンの店なんて本当に暗算が得意じゃないと即戦力にならないので(旧式の古いレジのせい)、5日でクビになりましたし、三越の派遣店員も元旦の景品交換やら催事を数回やって続きませんでした。

 

得意なのは、感覚的に自由度が高いもので、それでも細かくて、律儀な人とは衝突する事が多いです。結構気分屋でムラがあると母親から言われたこともあって、直そうとして律儀な人に合わせて見ようとするのですが、自分にないものを、自分に強制するって悲しいくらい人生ハードモードって感じです。

今の夜型だって、眠いから寝る。眠くないから起きてるただそれだけのシンプルな事です。人に合わせようとか、人から認められようとか余計な力を一度一切抜いてたどり着いた境地です。

 

「人工は厳しい、自然は優しい」
この言葉に従って自然なままを意識して暮らして見たら、確かに苦しさは、激減しました。

 

まぁ、いずれにせよ、
この金中心、金至上主義の
社会なんとかならないっすかね。
金を持たざるもの、生きてすら
生きていきづらいこの世の中、
金がなきゃ、稼げなきゃ、社会の最底辺なんだってツイートしまくっている、のを読んだからちょっと影響されたかも。