生きてるだけで100点。

生きてるって何かを表現することでしょう 表現せずにはいられないのかも知れません..............虚空に逃れようとしても ここにいるのを誰かに見つけて欲しいのかも知れませんね

コロナ禍での音楽との付き合い方

  1. 私にとっての楽器演奏や歌の歌唱は趣味は趣味のままで、音楽を聴かせたい、表現したいっていうより、だらだら無為な時を過ごすには、テーブルにコーヒーや紅茶があるよりギターがあったほうが、居心地がいいからかもしれません。


ギターを弾きこむようになったのは、ペットのウサギが亡くなって暇を持て余していたからだし、外で練習するようになったのは、(コロナを知らない時分の話に遡るが、音楽との付き合いの時系列上)家で一人で練習していても、上達以外のモチベーションがないとつまらないと感じたからで、その友達探しにジモティを物色していたら、
「一人で路上歌う勇気がないので、一緒に立ってくれる人を募集」という掲示を見て

「路上だったら、すぐ逃げられるし、路上で立って歌う目的の人で、下心アリアリの投稿ってないだろう」って応募した次第です。
その結果、話の分かる友人に出会うことができたかなって感じです。

その方は、アラフィフ無職の男性で、離婚し、元妻との間に15歳の娘さんがいるけど、鬱や適応障害等で生活保護を受けている悩み多き人。コロナがなければ、3月から職探しや職業訓練などを市の相談員から促される予定で、本人も憂鬱だと嘆いていたけど、普通にやる気ある人ですら、解雇されたり、仕事ないから、たぶん今年は生活保護がそのまま続くだろうっていう感じの人。Sさんと呼んでいる。

相変わらず投げ銭などは目指していません。

Sさんと一回路上で歌ったけど(コロナ以前の時分)驚いたのが多摩より、なんかウエルカムっぽい雰囲気出してくんだよね。

なんか聴く耳持ってくれる感じ。最初はうれしくもこそばゆい感じ。Sさんと立った時はそれで充分楽しめた。

そのあと別の人とも一回立ったんだが、その日初めて会ったばかりの相手

(この人もジモティで一緒に路上で歌う仲間を募集していた20代男性で、しかも相手はギターが弾けず、歌うまだけの人)

私だけがギター持ってる状況で音合わせしてたら、わざわざ立ち止まって、せっかくだから歌ってとリクエストされて、

その方はもう軽く出来上がった酔っぱらいで、終始「お酒一緒に飲もうよ。」と言っていた。

歌うまの人とは曲の趣味が合っておらず、歌うまの人の伴奏をこなす自信がない私(初めて会った相手で今一つ息も合わない為)は、

自分のレパートリーを披露して場をやり過ごすことを考え、咄嗟に2、3曲弾いた。

終始お酒飲む?と勧められて、「歌うまのひとは、これから福島に車運転して帰るから、飲めない」と丁重にお断りし、自分は普段から飲まないのを、「お酒飲めないからすみません」とこれも言葉を選んでお断りした。

とにかくこの一連のやり取りにすごく緊張したし、必死でやり過ごして、その人が満足して離れたら、速攻解散した。

やっぱり歌を聴きたいなんて言ってくるのは、いろんな意味で、気持ち悪くて、引くわ〜って思った。

 

  1. 聴かせたいってわけじゃないんだと痛感した。
    リクエストされたりするの、好きじゃない。
  2. やりたいから、やらなきゃいけないに変わってしまうから。
  1. (私の性質上、人から求められたり、強制されてやることに殊更、気分が乗らない。あまのじゃく。好きじゃない曲は聴かないから覚えられないし、覚えないから弾くこともない。食べ物の好き嫌いと同じ現象。)音楽演奏は私にとって完全マスターベーションだから、(好きなものしか弾かない、覚えられない、興味が持てない)

何かの興味でリクエストされてたり、立ち止まったりされてて、弾かなきゃいけない、見られているっていうのがなんか逆に 

  • 「もう半年は路上いいや、半年は家で練習してたいわ」って思った。 

自分にとって路上は、自分の演奏にブレイクスルーをもたらすためにやってる非日常で、アブノーマルなことをちょっとだけ楽しみながら、何か発見したいだけで、見せびらかしたいわけではない。じゃあ何でやるの?って私はいつも路上は誰かと必ず一緒であるから、その相手が路上で歌うっていう目的があるため。

  • 人前で弾く以上なんらかの化学反応はあるわけで、それが欲しくないってわけではないのだけど、20代の頃と違ってそういうのは期待もなけりゃ、欲もないってところに落ち着いた。何を言われても、口で「ありがとう、うれしいです」と返したところで、腹ん中に何も感じていない自分がいる。 

今大学生の子たちと話をすると、やっぱり20代をまだ経験してなくて、これから20代を味わっていこうじゃないかと意気揚々と生きてる分、私のこういう、良くも悪くも一度通った道に対して「何も感じなくなる、あるいは鈍化する心境」をわかってくれないので、

やっぱり人生って一度きりなんだ。

未経験ゆえのワクワクも冒険心も期待も、有り余る欲望も、過ぎて仕舞えば、落ち着くところに落ち着くのは、

当たり前の物理現象なんだなあと思う今日この頃であります。

 

もちろんコロナショック、コロナ禍であと半年は家に籠もって練習し放題なので、ありがたくその暇を持て余さず、

  1. ギターのピック選び(デルリン、セルロイド、アイボロイド、メタル、のサムピック 、あとフィンガーピックもいろいろ使い分けてます)
  2. メトロノームでビートを意識し演奏したり、
  3. 最近の流行曲のコードをネットでひいて、ノートに写すときに万年筆で書くんですが、万年筆にもこだわっていて万年筆も、細字、中字など使い分けてます。
  •  今までは引き篭もりの人たち全国で62万人が社会の穀潰しだのと非難されてばかりいたけれど、引き篭もりこそが今世界全体を救う模範生になるなんて本当に表裏一体だと思う。(※あとから調べたらもっとでした。40から60歳の年齢層だとこのくらい。で若年層入れると倍
  • そして今まで外を出歩いて生きてきた人たちの堪えどころの低さには、驚かされます。(元引き篭もりからの視点で言うと)というのもたった2週間や1か月でつらかったら引き篭もりは務まりません。引き篭もりの素質があるとたぶん逆に、ずっと外で活動することが当たり前の毎日に辟易します。

生物多様性ですね。世の中いろんな種類の性質の人間がいますね。そして私が2014年から2016年くらいに一人で勝手に今でいう所の“自粛した”生活を多摩でしていたときには、(セルフ自粛はいわゆる引き篭もり)世界は何も困ってなかったのに、世間全員みんなが“自粛する”生活になっただけで、こんなに会社や飲食店が困窮したり、家賃や維持費で倒産寸前になったり、一人暮らしの若者の生活がピンチになるなんて。

 

  • たった一人のニートなら、いや100人ニートでも1000人のニートでも世界は回ってたけど一億総ニートや、地球人もれなく引き篭もりさんになったら、生活が回らなくなるって、

やっぱり資本主義って残酷なシステムだよ。消費しなきゃ壊死する病みたいな制度で、消費が止まっただけで、脆くも崩壊寸前だもの。

 

そういうわけで、みなさま。
コロナ禍で何を思うかどんどん外に発信してくださいませ。
反応は薄くても、コロナ禍で人の目に触れる機会は増えています。
私もブログでは好きなことを書いています。誰もコメントなくても
必ず種を撒けば、いつかは花が咲くように。