生きてるだけで100点。

生きてるって何かを表現することでしょう 表現せずにはいられないのかも知れません..............虚空に逃れようとしても ここにいるのを誰かに見つけて欲しいのかも知れませんね

経済的自立とニート体質と、親父の死、母の生い立ち

私としては、働いてさっさと自立すればいいものを30近くまで、片親づつお世話になりながら生きてきて、結局父親にも「出てけ」と言われたこともあるし、母親からも言われている。

仲良くして暮らしていけない原因であるのは自分の方かもしれないし、自立してしまえば、いくらでも親の見えないところで、好きな時間に好きなことをして生きていけばいいのだし。

そのために経済的自立を迫られたことは、10代の頃から常に常に選択肢としてあったにも関わらず、今までずっと経済的自立に対して億劫だったのは、今の社会、フルタイムで働くって、マジ超絶しんどいっていうのが、この体とこの精神、記憶にしっかり刻み込まれて、拒絶反応を起こしていたからなわけです。が、またもや、既視感あるこのスパイラル。

フリーターでも13万くらい稼いで、家賃3万のアパートに住み続けるだけの頑張りを、いつまで先送りするんだって言われてるのかなって思います。

 


私が高校生だった時、両親が別居。母が実家に帰り、そのまま今もずっと住んでいます。離婚せずに、紙だけ夫婦でいました。後に父が死去。死別です。没1ってやつですね。母はボツイチ。
父親が晩年慢性腎不全での人工透析による合併症で拡張型心筋症になり、精神科と腎内科を両方診る入院施設で亡くなるまで、

いろいろあったな…

(せん妄により、徘徊し、一週間に数回も人をドアチェーンかけて締め出し、毎回ドアチェーンかかっていて家に帰れない時は、母親に家に電話してもらって開けてくれと話してほしいとお願いした。そこの会話で判明したのが、謎のゲームが家庭で開催される妄想があって、その妄想の中で、敗者になるとゲームオーバーで家から出るらしい。そして私は敗者になったから、出なきゃいけないらしくて、父も敗者になって、外を徘徊し、おばあちゃんの預金通帳が取られ、かわいそうだから取り返してやんないとさぁ、と全部妄想だけど、全部本気で言っていたらしい。だから子供が帰ってくることは関係なくドアチェーンをかける必然性があると話したので、母から説得して、開けてもらった。初冬〜真冬だったな。他にも妄言を言ったりして、朝、早くに私の部屋にいきなり入ってきて、出てけ、出ていかないなら警察呼ぶぞ!と恫喝し、近づいてきて、なんで?と聞いても、警察呼ぶぞ、連呼し、びっくりした。本気なのか、気が狂っているのか判別がつかないような家族仲ではあったので、本気でこちらもビビった。

 

玄関にあった私のブーツをドアあげて外に放り投げる父の背中を蹴って、すぐさま私がドアを閉めて父親を閉め出した。人の靴を投げて👢ほらでろ!っていう隙を咄嗟についた。警察呼ぶからと詰め寄られて、連日仕事帰りにはドアチェーンかかっているわで、大変だったから。近くの交番に父親が駆け込み、駐在さんが来たが居留守を使い、隠れた。そのあと父は5階のNさん宅に訴え、Nさんのご厚意でNさん宅やデイサービス事務所のようなところで1日を過ごしてもらった。そのあと弟が帰ってきて、親父を夜だし家に戻していいかと聞かれたが、父親に仕返しされたらまた怖いし、今日はどっか泊まってくれって言って、仕方なく弟が保護者としてスーパー銭湯で一晩明かしてもらった。けどそれもめっちゃ弟にあとから文句言われた。

 

その後も無軌道に徘徊し、ある日、真冬の12月に道端でうずくまっていたのを、団地の住民が心配して交番に届けたらしい。警察官に連れられて父親が家に戻った。そして警察官にこれまでの経緯を話したら、なんで探さないんだと説教された。その警察官の弟が知的障害あって、ちゃんと病気の家族は家族が協力して保護するのが当たり前だといい、こちらの非を責めた。そして、このあと腎臓内科の透析の病気が悪化して、精神面のせん妄もあるから、精神と腎臓内科を両方管理できる病院への入院が決まる。入院は妻の同意書類が必要なので、母親に来てもらう必要があったが、目の手術をしたばかりだし、寒いから、体調芳しくないと言ってクリスマスまで来なかった。)

 

父と死別するまで父親と弟と私と3人で暮らした。

(弟が中学生一年生の時にはもう母親は出て行ったきり戻らなかった)

父はリストラにあってから、お金に対してがめつくなり、生活費も渡さなくなったり、母親が出て行った後も意地悪な言動が絶えず。

その間一度も、母親が戻ることはなく、10年間は離れて暮らしてました。

父親が人工透析を始める前の7〜8年も一緒に生活していく上で圧力をかけられて苦労しました。

両親の別居から、死ぬまでを含めると10代後半から20代前半の話です。


母は遠方に住んでるから、新幹線で来るのの腰が重く、亡くなった時いろいろ大変でした。病院で死亡診断書もらって、焼くまでの手続きもわからないことだらけで。父親の危篤電話あってすぐ電車とタクシー乗ったけど、2時間かかるところで。着いたら亡くなってた。

亡くなった手を握手して、もう苦しみや人を苦しめることから解放された、スピリットになったとスピリチュアル トークを弟として

父親は、生きてるときは「病院から帰りたい、帰りたい」で帰れないと拗ねてダンマリになるけど、

もう死んだから、そういうわがままや自己中心な考えでこちらを振り回して無言の圧力かけることもないと話した。

霊安室では、死は暗いものじゃなくて、解放だからって、葬送曲として歌が好きな親子だったから、「あの夏も海も空も」を歌って

亡くなったスピリットへのポジティブな感謝をしめした、斬新な霊安室での過ごし方をした。

病院はエンジェルセット用意して、遺体を霊安室に移動するから、あとは遺体をどこに安置するか。その時乗ったタクシーの運転手が葬儀屋を個人でやっていて、タクシーではずっと何をどうすれば良いか相談に乗ってもらい、その人を信頼して、葬儀のコーディネートをその人に発注することにしました。両家の叔母からは詐欺師だろ?と猛反発されましたが、母親はすぐ自分は東京に行けないし、手続きしなきゃ進まんのだから、直感だけど、その人大丈夫だと思うし、それで行こうとなりました。実際まぁ大丈夫でした。いわゆるシンプル葬儀20〜30万代の値段で済みました。ぼったくりでもないし、だからって破格に安いわけでもなく。

ただ右も左もわからない、姉弟にとって8月1日の真夏で焼場も空いてなく、病院を出て、遺体を置く方法もすぐさま相談しなきゃならない状況に、解決策をくれるならもう、ワラをもすがる状況だったのです。


こういう話から話さないと、ただ今の問題が降って湧いたってわけじゃないっていうのが伝わらないと思ったんで、ちょっと書いてみました。これは私自身の心の問題ですが、こういう家庭内での不和プラス失恋プラス仕事が辛かったりしたら、十分なくらい人生に後ろ向きな気持ちになります。

 

たかがこれくらいのことでって母親は言いますが、結局母親の育った家庭環境も劣悪で、いわゆるDV夫な父親で「戦争に負けた敗戦国民が!クリスマスなんだ、くそくらえ!女子に教育はいらない」って言って、教育費を出さない。

高校に行きたかった母は、高校に行く代わりに美容師になれと強制され、16歳で見習いに行くと無給で働かされ、資格は取ったけど、稼げないからと言って、20代で定時制高校に通い、家にもちゃんとお金を入れてたにもかかわらず、20代後半に差し掛かると、結婚しろ結婚しろと世間体を気にして居場所を無くされたと言っている母。結局、ワンルームで一人暮らしできるアパートが大量に供給される今とは違い、結局、お見合いさせられ、断ろうと思ったら向こうが良い返事で、成り行き結婚。弟が生まれる前に一度家出もしたけど、義母と親父が実家に来てアタマを下げ?戻りました。前出の親父がその結婚相手です。

 

こういう苦労は確かに私はしたことがないですが、私は大卒ってわけでもないですし、高校の時に両親の別居で針のむしろでした。暴力がある家庭や、ご飯がない家庭ではなかったから、恵まれてると言えばその通りですが、母親と比べられてしまったら、劣悪過ぎて一般家庭じゃ話にならないところでもあって。
結局、「娘の私が頑張ってない」っていうのは、この苦労から生き抜いて、生き延びてきた母親からすれば、自分の食い扶持くらい自分で稼いできて当たり前だろうって半年にいっぺんは必ずブチ切れるんです。

社会との距離感うまく行かないから働くことに躊躇い、結果的に経済的に依存してることがそんなに悪いことか?と思って。「労働、労働、労働、労働、お金、お金、お金、お金」っていうことばかりで物事を測る社会の価値観に染まり切らないと言えば、カッコつけかもしれない。でも本当に労働とお金しか価値がないっていうのは、つまらないし、興味がない、労働一辺倒ではなくても生活できた自分は、「甘え、甘えって言われる構図」ってなんなんだ!という想いもある。

動物や植物は労働しなくたって生きてるし、私だって地球の生命体として、なんかの縁で生まれた以上、お金や労働に関係なくただ生きたっていいじゃないか!って思ったから、こういう生活しただけだけど、今度は親から、養えないと言われる現実。

気持ちだけでも味方になってくれない母親と暮らしてる自分にとって、先が見えない事をどうやっていけばいいのか模索してほしいという投げかけてるんだとしても、相手の気持ちに冷や水をかけるような言葉で尻を叩くしか、人生は開けないのでしょうか…。

 

考え方って毒にも薬にもなるし、人を救うこともあれば、奈落の底に突き落として来るような考え方もあって、自分が自分自身に対して何を信じて、どうありたいかを間違えると、本当に死んでしまいます。
死が、救ってくれるとは限らないけど、死が解決策とは限らないけど、死んでしまったら、楽になるのではないかという考え方は、一種の麻薬のような誘惑を持っています。けれど、この世に生まれた以上、必ず経験すること、不可避なのが死なのですから、早々に自ら死に歩み寄らないように、生きることでしか、経験できないこと、感じられないことに価値を見出すことで、死の麻薬的な誘惑を遠ざけつつ、今の自分自身に生きるとは、どうありたいかだと問い続けて、歩んでいます。

 

私は私で現実逃避傾向があるのであんまりに現実を、先を見るのが嫌になったことがあって、先を考えて生きるのをやめたんです。
仕事をすると、先を見通すこと、その上で行動をするという割と高度なことを求められますが、起きてもいない事を自ら考えて、不安になって行動するっていうことにも繋がってて、まるで自分から火中の栗を拾う、飛んで火に入る夏の虫状態なんだと気付いてから、
先のことを考えるのをやめたんです。
不安になるだけだ、わざわざ不安を見たいんじゃないっていう思いから。

それから自分の思考を観賞するっていう自意識と自己の同一化を意識的にやめるっていう種類の瞑想を本で

シュリー・ニサルガダッタ・マハラジ著 「I am that わたしは在る」を購入し読破し、意識のあるがまま観察すること知って、実践するようになったんです。

「わたしは、〇〇Be ing を感じている。」

世界はただ目の前に現れる。

それをI am that 鑑賞、観察する。

これは偉大なメソッドでした。やる価値があるメソッドでした。

 

それから、ハワイのヒーリングメソッドのホ・オ・ポノポノっていうのを本屋で見つけ購入しました。

4つの言葉「心の中で、ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」の四つの言葉をひたすら唱えて、

自分の中にある記憶をクリーニングするっていうのも、実践します。

そういうのを実践していくと、だいぶ穏やかな発想に変わるっていうか、前の自分がいかにただただ前のめりになって焦って、不安に駆られて生きてたかってわかるくらい気持ちの持ち方が変わってきました。

「何もせず、ただ、あるってそんなに悪いことじゃない、何かしたからって必ずいい結果がもたらされるわけじゃない」

みたいな考え方が自然とできるようになって、わりと、苦しみから距離を置いて、楽しみに自分からつながっていけるようにはなったんですが、いかんせん、それがあらゆる万人に理解されてるメソッドでもないし、自分固有の苦しみがあったからこそ、そのメソッドを実践してでも苦しみから救われたい自分がおります。

 

 


昼夜逆転なのは、眠くなったら寝て起きたくなったら起きるを繰り返していくうちに習慣化してしまったのですが、やはり母親が自堕落な生活だと思っているらしく、

「26からずっと、こっちに来ても変わらないじゃないか、どうしてそうやって生活することに恥ずかしさもないお前をこっちが養ってやらなきゃならないんだ」とか。

特別養護老人ホームにおばあちゃんを先月入れてから、非課税世帯の収入で年間70万という金をどうやって捻出するんだ、お前みたいなやつを養ってる余裕はない」とか。

(でも母親は若い時にコツコツ貯めた貯金が一千万あるらしく、家を建てたいとずっと言っていました。

おばあちゃんも、本当は3千万近いお金を持っていたが、息子の事業の保証人になり、全部パァになりました。

本人は事業破綻による自己破産、借金の返済に取られちゃいました。おばあちゃんは年金は納めてないので、出ない)


なので、このままの生活をするなら出て行ってくれと前も言ってましたが、今朝も起きて来てすぐに言い出し、「お前は父親にも見捨てられ、弟にも見捨てられ、ペットにも見捨てられ、今日は終戦の日なのに、生きたくても生きられない人たちがいたのに、お前みたいな奴がどうしてこんな状況が続いて、生活も改めない努力もしない奴が、どういう神経で居られるのかわからない」

 

みたいな事を言われ、母親から自分の存在意義や価値を否定されて、「ここにいたいならもっとちゃんとしろ」って言われて…。

 

私としては、「ここにいたいというより、以前より思っていたけど、母親は本質的に私リズムや考え方が違っていて、歩調が合わない時もあるし、おまけに手伝ったりしてても存在意義まで否定されて、もうここにいてもな、楽しくないな…」

確かに金銭的にはお世話になってるけど、それだったら一人暮らしを選んだって、バイトが辛いかもしれないけど、母親の言葉も十分、十分すぎるほど辛辣だしどっちを我慢するかで、今までは、母親の辛辣な言葉を我慢して来たけど。

 

「養えない出て行ってくれ」と本気に近いニュアンスで言われてるわけだし。だからって、今仕事してないわけじゃないけど、ほとんど否定されてるようなもんだから、ダブルワークで所得倍増して、家に入れるお金を増やしていくしかないわけですが、それで、満足してくれて、何も言われなくなって、この生活を維持することを頑張っていくってシナリオに辿り着くのか?と思ってしまいます。

 

今、ずっとバイト探しを見てました。ホテルのフロントとか、ガストのキッチンとかコンビニとかスーパーとか牛丼チェーンから…今の清掃の仕事が結構楽だから、他の仕事のやりがいとか検索してみると、どれも大変そうで、やりたいって思えるものがあるような無いような…でもそんな言い方で逃げてると自分の存在意義を問う母親に「養えない、このまま出てけ」と言われるのだから、やってみるしか、もう方法はないのかなとか夜な夜な考えてたら、寝れませんね。


いつだってそうやって前向きな気持ちでやってきたのに、結果らしい結果にありつけない苛立ちもあるのですよ。
意志があるからこそ、こんな風にしか生きれない辛さもあるんです。
だれかの考えに染まってうまく歩んでる風な期待レーンに乗って走る生き方だってあるのに、

わざわざ全力で自分の考えを全力で生きた結果、自堕落で養えないって言われてしまってるんです。

 

ポジティブでもなんでもない、芽が出ないくすぶっているところを母親に笑われているようなもんです。

わたしにも悩みそのものに囚われてた時期が長くありました。そのせいで、好きになった人に依存的な振る舞いをして振られたこともあります。そういうウジウジしてた頃に相手をしてくれて、忌憚なく、意見を言ってくれて話をした知人もいますが、皆今は疎遠になっています。その時から7、8年くらい時は進んでいますが、決して今の状況も楽天的ではなく、

 

人生ゲームの甘美さより厳しさの方が勝った状況はまだ続くのかと辟易します。

 

人生ってなんなんでしょうね?

 

と皆に聞いて回りたい気分です。