わたし的2019年のクリスマス 22日夜
2019年は2018年と様子が違う。
陽ちゃんもウチもいない。
陽ちゃんは91歳のおばあちゃんで、2019年5月くらいに入院し、そのまま介護度悪化により特養ホームにインしたから。
ウチはホーランドロップうさぎの6歳だったが、精巣腫瘍により他界し、居ない。
いつも年の瀬には、「今年ももうすぐ終わりですよ、というけど、来年はどんな年も何も無いよ、一月になったからって、明けましておめでとうと言ったところで何も変わりゃしない」と思う私だけど。
何も変わらないなんてことは一つもなく、例えばこの1秒の間に、歩みを進める路上の人間や、なにかを食べ始めて口に入れようとする瞬間から、食べ終わる最後の一口に至るまで、ありとあらゆるものが同じ状態ではないということを、真剣に考えてしまった。
何も変わらないとタカをくくって過ごして居たのか、変わってることにすら気付けて居なかったのか、
それでもこうやって否応無しにわかりやすく喪失を経験すると、やっぱりこの瞬間は、同じ瞬間じゃ、二度と来ない。なんて強く意識したりする。年末年始、私は30日から2日まで休めるけど、酒屋のソムリエのブラザー(弟)は、年末年始なんてむしろ、一年で一番の酒屋の勝負所だと言っていた。元旦さえ、休まず、みんなのお酒を供給するという。みんなが休む時休まない人がいて、世の中はまわっている。
こうやって、進んでいくと言ったらいいのか、終わっていくと言ったらいいのかわからないが、そういうことに寂寥感が込み上げてくる。
クリスマスからお正月って、一週間しかない。
一週間が一番濃ゆいのが、クリスマスから正月を迎えてしまうこのウィークであり、なぜかせわしなさと同時に込み上げてくる虚しさみたいなものがある。。。
今年も終わってしまったなとか、そういう普段だったら気にしないものを急にフォーカスしてしまったりして。
そう、クリスマスで、ちょっと浮かれたパーティー気分が急に和のテイストに変わるのが、ついていけない一週間がまた始まってしまう。
22日日曜に仕事してから帰りに本でも立ち読みしたいなと思い、一番町方面に行きました。
8時には、定禅寺通りが人だらけで、Sendai光のページェント、昨日イオン仙台に行く途中に通りました。
多摩センターと永山のイルミ育ちの私からすると、いまいちカラフルさがパッとしない単調な並木系イルミネーションだと、心の中で思ってしまう。なんでイルミをもっとカラフルでファンタジーな世界観にしてないのに、こんなに人が集まるなんて、
みんなの目はこういうシンプルに並木道にゴールド一色の、ワントーンコーデしかないイルミネーションが正統派なわけですか?とか思う。多摩センターは、オラフみたいな雪だるまのオブジェのイルミ、水族館の中みたいなアーチのイルミにイカやタコがカラフルに点灯していたり、トナカイソリのイルミもある。クリスマスファンタジーの世界観がそこにある。
Sendai光のページェントはとにかくひたすら並木ゴールドだから、多摩センターイルミで育った私には、ずいぶん簡素な美意識でクリエイトされた質素なイルミに見えて、なんか、もう。イルミじゃない、これがページェントなんだろう。
光のページェントを「ページェントだから」とか略して言う人ばかりだが、ページェントって何だ?ペイシェントか?患者かと思ってしまう。イルミネーションのことを、イルミ、イルミと呼んできた自分ら姉弟の中では、ページェントとは一体何事かとなるのは、ちょっと仙台との心の距離があることの証明みたいな感じである。
スーモ君の描かれたライトをネット状に3本くらいの木かけたイルミネーションがむしろ一番きれいだと思った。
噴水広場にはラプラスが居た。たぶんラプラスだよね?ラプラスでしょ?ね?ラプラスが鎮座してた。
力士の谷○?の石像が急にあって、びっくりした巨大な不審者にしか見えない。あれはいつからあったんだ?
そんなことを感じたわけだが、イオン仙台でネックウォーマーとニット帽など、日々のガチ寒に対応したアイテムを見つけ、いろいろ見て全然8F BOOK OFFにはたどり着かず、マザーにラッピングでクリスマスプレゼントにダウンベストを買ったりして。
ブックオフにも行き。帰りは、雨だったけど、ビンチョウマグロの売れ残りを求めて22時半に西友の鮮魚コーナーをチェックし。
やっぱりあったビンチョウマグロとアトランティックサーモンの見切り品を買って。
アボカドとサーモンのサラダにしようとか思い、デリカテッセンでは、コンビーフのポテトサラダが30%見切りだったので、買った。
そんな風に買い物したら2000円も使ってしまった。昨日は昨日は5000円で、今日は2000円。どんだけ見切り品のために買い込んでるんだと自責の念が生じた。でもローソンもこんな日は見切り品があるのか、一応自分の目で確認しようと行ったら、クリスマスケーキのノエルと栗のホールケーキがいっぱい見切り品になっていて、もう1時間したら、賞味期限切れになるんだと思ったら、もったいないないから
少しでも数減らしに貢献して、あとはローソンのスイーツだったらレベル高いだろうし、2つ買っても1300円くらいなら、予約のケーキを買ってない自分たちのクリスマスケーキにすれば良いと思ったので、買った。
美味しかった。ただ、アボカドが超痛んでて、食べれないやつの4つで一袋のやつだったのは、痛かった。
レシート持って返品交換するのが、面倒で、どうしようと悩む。
クリスマスイブの夜にはプレゼントを渡す。キレられてる相手(母に)プレゼント渡すのは、愛情なのかと1日考えたがわからなかった。
渡す相手が居ないから、渡しても受け取ってもらえて、ちゃんと使ってもらえそうなものを、もらってくれそうな相手だったから、渡すのにちょうどいいものを偶然見つけたから、渡すのか。そういう感じでしかないような気もする。
Noteで読んだ我が子にクリスマスプレゼント、何がいい?と
聞いてサンタクロースとして、プレゼントを渡す話を読んだが
娘の答えが「クリスマスプレゼントはおにぎりがいい」というのがなんとも言えないかわいい答えだった。
クリスマスプレゼントおにぎりかぁ、安く済みそうでよかったね。というお父様と
おにぎりはちょっと…なにか他に欲しいものを聞き出そうとするお母様。
結局クリスマスプレゼントはおにぎりではなく。パンでもなく、ちゃんとした王道のプレゼントをご両親は計画するお話がコミカルで
軽妙で、面白く読ませてもらった。だから少し感化されて自分もクリスマスプレゼントを買ってみたりして。
人ってそんなもんだよね。
2018年のクリスマスはウチも居たし、陽さんも居た。
今年は居ない。
やっぱり同じではない。とどまっているものは何も無いのは、本当だ。
みんな、流れに流され、行き、生きている。
そういう寂寥感とともに、ただ或るのが、自分という視点。
その視点から見た、その視点固有のクリスマスについて。 了。