生きてるだけで100点。

生きてるって何かを表現することでしょう 表現せずにはいられないのかも知れません..............虚空に逃れようとしても ここにいるのを誰かに見つけて欲しいのかも知れませんね

引っ越しの反省が多すぎて・・断捨離できない、捨てるのは苦手、罪悪感

ブログをようやく更新するのは、ドコモのLTEの通信速度が月初になって、リセットされたからです。最近は、物を捨てた後悔に苛まれ、引っ越しの荷造りの反省ばかりであります。
引っ越し後に元の自分の部屋を再現していく過程で、家具を配置し、収納を戻し、やっていくわけですが、「あれがないな?」とメタルラックのスリーブという留め具を探したりして、なかなか見つからずに「捨てたのか?」と焦ったり。

食器や衣類、置物Etc…

(売ってないから、。捨てたらおしまい)

もう2度と「全く同じ」ものは手に入らない物を勢いやその時の浅はかな判断で処分したことに物凄く後悔と

捨てた後でも執着心があり、それが気分の浮き沈みになるほどに後悔してしまいます。
他人のアドバイスの「また買えばいいじゃに」という言葉は、慰めにならず、余計に自分の引っ越しという作業への反省と後悔が強まるばかりで「一度自分の物になったら、それを持ち続けていたいという自分の思いの強さ」を改めて自覚しました。

 


執着心というのは、自分の物だからという思いに起因するのでしょうが、「他人の物でも、もったいない」と思う方なので、物を捨てる事に感情的に後ろめたくなることや、物がかわいそうに思うこともあります。


そのままにしておくのは、何も片付かないし、解決にもならないし、邪魔になったとしても、捨てるという行為が、物へのトドメの一撃を刺す行為に感じられ、心理的負担になってしまい、人から見たら、混沌とした部屋に生活してる負担の方が大きいと言われる状態でも、
物を捨てる事に達成感よりも物哀しさを感じてしまいます。

そうした人間にとっての物の一大大大整理は、自分のなかにぽっかり穴が開いたような、大事な物を失ったような気がして、まだ前を向くより、後ろを振り返る事が多くて・・

 


私は実家がURの賃貸団地だったのだから、いつかはそこを離れる事になるのだけど、30年という月日が経つと、そこに保管されているものは最長30年前のものもあるわけで、そうやって月日の流れを感じると、何でもかんでも捨てるっていうのはなんか寂しい感じがしちゃうんだよね。f:id:nana77today:20200206083030j:image
f:id:nana77today:20200206083034j:image引越しで物を棚から全部出したせいで、物が散乱した部屋。

ものが収まってない、引越しの直前。


押入れに10年眠ってた使ってない置物だって、久しぶりに見れば懐かしいし「こんなところで、この部屋で、知らない内に、一緒に時を過ごしてたんだなぁ」って思うと捨てられないんだよね。引っ越しのタイミングで捨てることが、荷物を減らす方法だけど、なんか寂しい…


それでも捨ててきたものたちに
「ごめん」と思う。
持ってきたものと捨てたものが
私の頭の中で入り混ざる
それが苦しい
思い出すと、捨てるのも苦しかったけど
捨てたことを思い出すと、
取り戻し出来ないことにまた苦しむ
ならば捨てなきゃいい大事なものだったということになる。

引っ越しって、物の引っ越しなんだよね。
トラックって人が乗るんじゃないもんね。
どの物を連れていき、
どの物を手放して、
ずっとずっと一緒に人生を歩む物とここで決別する物を選ぶのが、引っ越しなんだよねって

引っ越ししてから気づいたよーーーーーー。
あんなに片付けて、あんなに仕分けしても、納得出来る選抜を出来なかった反省が、いつになったら、片付いてくれるのだろうか。

そして、私の物への執着心。罪悪感。

心がもう痛まなくなるのは何時だろう…。