生きてるだけで100点。

生きてるって何かを表現することでしょう 表現せずにはいられないのかも知れません..............虚空に逃れようとしても ここにいるのを誰かに見つけて欲しいのかも知れませんね

君がいたから(FIELD OF VIEW)歌詞からタナトフォビアに寄せて

私は、小学二年に「君がいたから」をカセットテープで、何度も何度も聴いているうちに

歌詞の内容から、タナトフォビアになってしまった過去を持つ。f:id:nana77today:20191124224731j:image

 

私に死の恐怖を気づかせた歌詞を載せておくので、参考までに読んでほしい。

たぶん、この歌詞から、「死」を連想してしまうものはないが、

「無」なんだ、「自分は、誰でも無いんだ」と感じた理由を、そのあとから

追って説明していこうと思う。

 

作詞:坂井泉水作曲:織田哲郎


抑えきれない想いや
人が泣いたり 悩んだりする事は
生きてる証拠だね
笑いたい奴らには 笑わせておけばいいさ
僕らは風に吹かれよう

感じ合えば すべてがわかる
言葉はなくても 何度もくじけそうになって
ここまで来たんだ
oh 今 僕らの心は ひとつになる
振り向けば いつも 君がいたから

 

ドアを開けて 中に入ろうとしても
入口が見つからなくて 誰かを傷つけた…
そんな時 友達が自分より
偉く見えたよ
僕はちっぽけな存在だった

まるで鳥になったみたいに
自由にはばたくよ
何が正しい… 何が間違っているのかなんて…
oh 大勢の中に居ても
孤独を感じていた… 目を閉じると そこに
君がいたから

輝く季節の中で 夢は
藍く染まるだろう
失うものは何ひとつない 愛さえあれば
oh この世界に 踊り続けるしかないのか…
心の中に君がいたから   以上。

 

この歌を聴けなくなってしまったほどの恐怖は、

とにかく、ひたひたと蝕むように、生きていることの空虚さ、ちっぽけな存在であること

苦しんだり、悩んだりしてることへの、皮肉、ニヒリズム

君がいたから と言っていても、だれか、どんな人かもわからない君であり、

その君を拠り所にしているものの、優劣、勝敗、成果、好悪、といったことに強く意識して、固執しているのではなく、一連の流れの中で、一つずつ、自分の在り方を見つめているのだと思う。

ノローグ(相手なしで語るセリフ)のように、人生を語る主人公。

 

ボーカルの浅岡氏の澄んだ、透明感のある歌声が

素直でまっすぐに生きる青年の姿を想起させる。

でも、愛だの恋だのそういう歌じゃない。

ただ、他人と生きてる中で、自分のちっぽけさに気付かされた青年の視点が、

小学二年の私にもなぜか入っていき、その自分のちっぽけさを歌う歌詞を

追っていくうちに、だんだん、ひたひたと、経験したわけでも無いのに、

「きっと人生ってこの歌の歌詞みたいな感じ」なんだろうなと思い始め、

何度も何度もカセットテープで聴き続け限界点を突破すると、

「自分が誰でもない」私は〇〇だと思っていた自分、自分が誰かを自覚している自分が、

いない、本当はいない…死んだら、無なんだ、というか、自分なんてものは、消えてしまうんだ、

君がいたから…のように、いたけど、それはどこかかりそめのものなんだろう…と。

 

ということをこの歌詞から感じ取ってしまったのだ。

「君がいたから」の君が具体的に登場しないのと同じように

「僕はちっぽけな存在(やつ)だった」の僕がいるようで、居ない。あるいはその逆に

あらゆるところに僕はちっぽけな存在(やつ)として居るから、怖かった。

そしてそんな世界で「踊り続けるしかないのか…」と言えば、そうだ、「踊り続ける」ことだって、

いつかは終わりが来るので、どうしたらいいのかわかんなくなってくる。

そもそもの踊りとは何かと考えると、生きることそのものを踊りになぞらえて言っている。

「人生イコール踊り」随分と達観した例えだと思う。

 

「抑えきれない思いや、人が泣いたり悩んだりすることは生きてる証拠だね」

「笑いたいやつらには、笑わせておけばいいさ」

「感じ合えば全てがわかる言葉はなくても」

「何度も挫けそうになって ここまで来たんだ」

「まるで鳥になったみたいに自由に羽ばたくよ」

「何が正しい、何が間違っているのかなんて…」

「仲間の中にいても孤独を感じていた」

「失うものは何一つない、愛さえあれば」

この歌詞は全部刺さった。

 

「泣いたり、悩んだり、生きてる証拠=(最終的に)この世界に踊り続けるしかないのか?」

いかにも哲学的な問いがリスナーに投げかけられている。

人を傷つければ、人に笑われれば、何度も挫けそうになって、ここまで来た。主人公の青年の問いは

先述の命題へとつながっている、ものだとわかってくる。

 

「失うものは何一つない、愛さえあれば」

ここなんて、すごくもっともらしいことなのに、なかなか自分を守って生きて、愛がどんなものかもしれないまま生きてる私たちの、なかなか痛いところついてくるではないか…

何かの救いもないけど、振り返れば、いつも君がいたから…

 

いつしかこの歌は、漠然と怖い歌詞にしか聴こえなくなってしまった、小学二年。

その後、本格的に自分が消えることへの恐怖と対峙してタナトフォビア世界にどんどん入っていってしまう。そのきっかけこそが、「君がいたから」

そして、きっかけがなければ、自分の存在がどこから来て、どこへ向かって、どこへ去るのか

という無限のぎも